先日、たまたまかつての知人に再会しました。
ご縁は大切にしたいタイプなので「再会した」というご縁で、一緒に食事をすることに…。この数時間の会話のなかで、さまざまな気づきがありました。
その最たるものは、見ている世界の違いでした。
その方に合わせた言葉を選び、同じ視点で話していたら、途中からどんどん窮屈に感じはじめ…。何だろうこの感覚と、思っていたらピンときました。
その方の視界が狭く視点が平面的だからだ、と!つまり、目に見える世界のなかでしか生きていないように感じたのです。それはとっても3次元的な視界であり視点でした。そしてその何ともいえない心もとなさ…!
少しでも目に見えない世界の話をすると、瞬時に顔が曇り「それはちょっと…」と反応するか、もしくは無反応。まるで響かないのです。表情は微笑みを浮かべているものの、表面的な対応はすぐにわかってしまいます。
逆に意見してくれる方が、話甲斐もあるとは思うのですが…。
今世界で起きていることの異常性、波動の話を含む宇宙の真理、これから目指すミラクルしかない世界など、それらを踏まえた前提の世界で生きている私とは、あらゆることがもう違い過ぎて。
視点の場所、なんて今まで考えたこともありませんでしたが、彼女の視点に合わせてみて初めて、いつもどれほど解放された高く広い視点で見ていたのだろうと気づけたのです。私自身、自分の理想の世界を思うとまだまだ見上げてしまうほど遠いのですが、それでもコツコツ意識的に生き続けたことで、確実に成長しているのだと気づけたのは収穫です。
もちろん私が正しくてその方が正しくないなんてことも、私の方が偉いなんてこともありません、これは断言できます。それぞれの学びの内容やスピードがあるのは明確です。
ただ私にとってはもともと目に見えない世界こそ自然なもので、今は特に自分のそういう部分も相手を選ばず表現し、ありのままでいようとする過程だからこそ、そこで共振できないならお互いにとってこれ以上会う意味ってないんだろうな、と。
ちなみに目に見えない世界の話は、今までは母としか本当の意味ではできなかったから、かれこれ半生以上、本を読み漁って理解を深めてきました。
それがここ数年でやっと、同じ世界の人たちとリアルでもオンラインでもつながり始めたことで、私の住む世界も明らかに変わりました。それは可能性しかないワクワクする世界!
それをかつての知人との再会で、再認識させられたのだなぁ、と。
正解はなくとも、多角的な視点はさまざまな面で役に立つと思う。つまり生きやすくなるし、感覚的にも世界が広がり可能性を感じ始めます。
自分にとってどちらがいいかは、心の中心の感じ方が教えてくれます。
ワクワクと「今ここ」から広がる感覚がするなら「YES」だし、窮屈で可能性が感じられないなら「NO」なのです。シンプルに、それだけ。
では、あなたは世界をどう捉え、どんな世界で生きていきたいですか。意識を向けた方に人生は展開するので、今この瞬間からその世界を生き始めることだってできるのです。
love.
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